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誹謗・中傷・反論・批判が飛び交うインターネットの世界

アーカイブ:2012年05月04日  カテゴリーその他  タグ  タグ:この記事は10分程で読めます。

誹謗・中傷・反論・批判。飛び交うインターネットのイメージ

現実の世界もそうですが、インターネットの世界でも、毎日どこかで非難の矛先となり苦しんでいる人がいます。
非難の矛先となってしまった人たちの中には、激しく傷つき、立ち直れず、ひどい精神状態に追いやられてしまった人も沢山います。

でもなぜ、インターネットの世界では、現実の世界以上に誹謗・中傷・反論・批判が飛び交うのでしょうか?

匿名性が問題なのか

私は、ブログにいただいたコメントは、できるだけ掲載するようにしているのですが、熱のこもったコメントをいただく場合、1つ条件を設け、それをクリアした場合にのみコメントを掲載するようにしています。その条件は、記入いただいたメールアドレスが、正しいか、ダミーかということです。正しければ、基本的に掲載するようにしています。
※もちろん掲載することで、多くのユーザーに怒りを感じさせ、コメント欄でバトルが起こるような反論や批判は掲載しませんし、誹謗中傷の場合は一切掲載しません。

ただ、やはり私のブログに届く熱のある反論コメントや、批判コメントを書く方の多くは、メールアドレスがダミーであることが多いです。

最近調べた情報によると【人は自分の名前や身元が人に知られない場合、そして罰を受けない時は乱暴になりやすい】と、心理学の実験で結果が得られたと伺いました。
現実では、罰を受ける可能性がある。殴られる可能性がある。仕返しされる可能性がある。と人は恐れます。
でもインターネットの世界では、身元を明かさなくともコミュニケートが出来てしまうため、これらの恐怖を考えずにすんでしまいます。このインターネットの世界特有の匿名性の高さが、誹謗・中傷・反論・批判を生みやすい環境を作っているのではないでしょうか。

ウェブはバカと暇人のもの

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)
みなさんはこの本をご存知でしょうか?私は最近、誹謗・中傷・反論・批判が飛び交う理由を調べている最中に知りました。
私はWEB業界で働いているので、WEBは馬鹿と暇人のものと言われてしまうと、ちょっと傷ついてしまう感も否めないんですが、それでも読んでみたら、著者の鋭い分析力に脱帽しました。
また、誹謗・中傷・反論・批判が飛び交う理由のヒントも得られました。特に以下の引用文は、とても興味深いものでした。

突然だが、あなたは立ち小便をしたことがあるだろうか?女性は経験ないだろうが、多くの男性はやむにやまれぬ事情で立ち小便をしてしまったことがあるはずだ。
家族や友人に「いやぁ、昨日飲みすぎて我慢できなくなって立ちションしちゃったよ、ハハハ」などと報告したら、「バカね。ちゃんとトイレ行っておきなさい」と言われておしまいである。

だが、これをブログで告白したら問題になるだろう。特に、名前の一部が知られている人(芸能人や社長等)がブログで書いたら、「通報しました」や「軽犯罪法違反ですよ。人としていけないことです」「なに犯罪自慢してるんだよ」などのコメントがつけられ、場合によっては「炎上」する。

立ち小便はけっして立派な行為ではないし、立ち小便する人を咎めることは社会通念上、正しいことだ。しかし、わざわざ「軽犯罪」だと言って「通報」したり、「人としていけないこと」だと注意するほどのことか。そもそも、実際に立ち小便をしている人を注意できる人はなかなかいない。

悪いことをした人を注意すること自体はなんら悪いことではありません。ですが、自分に被害が及ばないにもかかわらず、WEBでは過剰に注意したり中傷したりする傾向が強いと著者は言っています。

私はまさにその通りかもしれないと思いました。だって千葉に住んでいる私が、苫小牧で牛のウンチを投げて遊んでいる子供に『そんな事させる親は信じられない! おかしい! やめさせるべきだ! 汚い! 下品だ!』なんて騒いでいたら変じゃないですか。
そりゃーそういうことがニュースとしてテレビで放送されたら「汚ねーガキだな」と思いますが、わざわざ、その子の親が運営しているブログを探しだして「汚ねーぞコラ!」なんてコメントしません。

でもなぜWEBでは過剰に注意したり中傷したりする傾向が強いのか。1つは先ほど話した匿名性の問題だと思います。ただ、この引用の場合、匿名性だけでは問題が片付けられません。

間違った正義感

先ほどの引用にあった、「通報しました」「軽犯罪法違反ですよ。人としていけないことです」「なに犯罪自慢してるんだよ」こんな批判ばかりがずらーっと並んだコメント欄を見たらあなたはどう思いますか?ましてや、「犯罪者は死ね」「消えたほうが良いね」なんていう批判や反論を通り越した誹謗中傷が並んでいたらどうでしょうか?

私は『ここまで言わなくても良いだろう。ひどい人たちだ』と思います。

ひどい攻撃だと感じる文章を見れば、人はその文章を書いた人を【悪い人、心の狭い人、くだらない人、かわいそうな人】などと思うでしょう。
ですが、これらを書いた本人達は、自分のことを【正しいことをみんなの変わりに指摘してあげられる正義の味方】だと思っている場合があるようです。

こういった方たちは、このインターネット上に多くいます。調べてみると【正義感が強いが勇気が無く人に面と向かって注意できない人】や【現実の世界で自分の存在意義を見出せない人】に多い傾向があるようです。
また、自分の意見がすべて正しいと考え、自分の考えとは違う人はすべて悪と判断し、とにかく激しく攻撃したくなってしまう事もあるようです。

誹謗中傷はしてはいけないことです。ですが批判や反論をしてはいけないというわけではありません。批判的に物事を見ることや、反論をすることが自己防衛につながったりしますので批判も反論も必要なことです。私自身、友人と映画の批評・時には批判をすることを楽しみとしています。

ただ、批判や反論をするとき、言われる側の人間が明らかに傷つくであろう言葉を選んでまで、批判・反論したほうが世の中や、その人のためになるのでしょうか。もしわざと相手が傷つくであろう言葉を選んでいるとしたら、それは本当に批判や反論と言えるのでしょうか。

自分の意志とはまったく違う解釈

では、インターネットの世界で、誹謗・中傷・反論・批判が飛び交うのは、間違った正義感とWEBならではの匿名性だけが原因なのでしょうか?

とある掲示板の【ご利用の注意点】のページに以下のようなことが書いてありました。

ネットの世界は顔の見えない相手とのやり取りがメインとなります。実際に向かい合ってしゃべる以上に気を使って発言してください。
また、文字だけの世界ですので、思わぬことからトラブルになることが予想されます。自分の意志とはまったく違う解釈をされる場合もあります。その場合は熱くならず、誤解であることを丁寧に説明するか、争いを避けるように努力してください。ご協力をお願いいたします。

私はこの文章の中の【文字だけの世界ですので、思わぬことからトラブルになることが予想されます。自分の意志とはまったく違う解釈をされる場合もあります。】ここの部分が誹謗・中傷・反論・批判が飛び交うもう1つの原因なんじゃないかと感じました。

文字だけの世界であるインターネット(厳密には動画などもありますが)は、常に勘違いが生まれます。それこそどんなに丁寧に書き綴ったとしても、意図しない勘違いが生まれます。

たとえば、私がブログ上で『自分の事をブダイクだと思っている女が好きだ』と書き込めば、きっと多くの勘違いが生まれてしまうでしょう。それこそ『ブサイクだと思っている女を馬鹿にしてない?』とか、そんな感じになると思います。
ですが、実際に面と向かって会話する場合、私が『自分の事をブダイクだと思っている女が好きだ』と言い、相手がその意味の真意が分からない場合『それってどういう意味?』と聞き返してくれます。
現実の世界では、このようにお互いの努力で勘違いを回避できるのですが、インターネットの世界ではそれが上手くできません。

『ブサイクだと思っている女を馬鹿にしてない?』と感じてしまえば、誤解である可能性など一切考えず、ブサイクな女を馬鹿にしているという腹立たしい気持ちをコメントするんです。『女を馬鹿にするな! このっクズ!』のように。

ただ、これが手紙じゃないとコメントができない場合、『ブサイクだと思っている女を馬鹿にしてない?』と感じたとしても、『女を馬鹿にするな! このっクズ!』と書く人は格段に少なくなります。それは、手紙の場合だとポストに投函するまでに時間がかかるからです。
手紙を書き、封をし、郵便ポストまで歩いてもって良く。この工程を面倒だと感じる人もいれば、郵便ポストにたどり着くまでの時間に、カーッとなった頭が冷静になる場合もあります。でもインターネットやメールの場合は話が変わります。ワンクリックで送信できてしまいますからね。

話を戻しますが、『自分の事をブダイクだと思っている女が好きだ』とブログに書き込んだ場合、もちろん説明不足である書き手にも問題があるとおもいます。ですが、インターネットで多くコミュニケーションを取るようになったこの時代。もうそろそろ読み手である人たちも、勘違いしている可能性を意識するべきではないでしょうか。現実の世界と同じようにお互いの努力で勘違いを回避するべきです。

最後に

誰だって誹謗中傷批判反論を受ければムカつきますし、悲しみます。だけどもし、ひどいコメントやツイートで悲しくなったりムカついたりした時は、webの中ではなく、奥さんや旦那さん、友達や同僚がいるこの世界が大切なんだと振り返ってみてください。誰かに必要とされている。そう感じられれば、きっと冷静になれると思います。私はそれだけで十分だと考えています。

今現在、ブログやツイッターなどで自分を表現しているが、非難がつらくてやめてしまおうと考えている方がもしいれば、この記事[批判する行為を批判することの労力|ジャッジを恐れずに表現し続けることの楽しさ]を読んでいただきたいと思います。特にこの記事の中の自分を共有し続ける楽しさと勇気を読んでいただきたい。きっとまた楽しんでブログやツイッターなどで自分を表現できるようになると思います。

今回こうして記事にしましたが、この記事では情報として不完全です。それこそ、批判・反論する人の言い分を直接インタビューしたわけでも、誹謗・中傷をする人の心理状態を研究したわけでもないですから。だいだい私、怖くてそういうこと出来そうにないです。

追記:

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)この本のレビューを見て少し面白かったので引用しておきます。

ネットは発想を均一化した
「2ちゃんねるでも、多様な意見はあまり出ない。誰かを叩くときは、その流れが一方的になる」
→自由な発想が意外にないどころか、流れに沿わないと、叩かれる。そういうのを見ると、人はイジメるのが好きなようである。

いったい私たちは何を恐れているのでしょうか。


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この記事へのコメント
  • あさん より:

    自分はネットユーザーの言葉使いに苛立ちを覚えている一人です。
    たとえ匿名性が強かったとしても言って良いこと悪いことの判断が何故出来ないのか不思議でなりません。
    最近では10代の80%はネットをやれる環境にあるらしいです。そういうユーザーの年齢層も多少は関係してるとは思いますが最近は目も当てられない程酷い書き込みが間違いなく増加してます

    厳しいとは思いますが何らかの対策をとってほしいですね
    今のネットは自由過ぎる

  • Meredith より:

    固定ネット回線の普及とモバイル機器からのアクセス増加でネット上
    でのコミュニケーションは無論日常欠かせないものになりました。
    だが中には特定の誰々何々が嫌い・つまらないがどうでしょうかなど
    別に何かに困っているわけでもなく、自分の中だけで留めていれば
    いいようなことさえ、わざわざ見も知らない人間に聞いてそれに同感・
    反論するケースもかなり目立って来ました。あさんさんが書いている
    ようにそれらの会話は言葉遣いもひどく、非常識な内容も多すぎます。

    いい方法がすぐには浮かびませんが、特定の人物や団体などへの批判に
    値する内容のものは一般的なものと別にするなど1段階おいたアクセス
    方法にしてほしいです。また、悪質な批判・中傷ばかりのページは
    通常の検索ではフィルターをかけてすぐに引っかからなくなることが
    できるようにするなど、1ステップ踏むことで多少なりそれらの
    ページを見るときに心構えが変わってくるはずです。いずれにせよ
    ネットを運営している側や、更に通信・ネット関連のあらゆる方面の
    動きがあったほうがいいように思います。

    ソーシャルネットワークを実名・本人写真で健全に使うオープンな
    人間からは自分の素性を明かさず、本人に面と向かって言える以上の
    ことまで思いついたまま書き込む行為は、陰口を叩いているような
    暗くて悪趣味な言動なんだという実感を持つべきです。体のいいこと
    ばかり書いてるようにも聞こえるかもしれませんが、世の中老若男女
    70億人いろんな人がいて成り立っている人間社会です。文字による
    発言なのだからせめて下書きしてから送信ボタンを押す前に何度か
    読みなおして、どこかの誰かを傷つける可能性があるなら書き直したり、
    破棄するか考えるような努力も匿名を扱う全てのネットユーザー
    にとって必要でしょう。

    最後に久々に私もネットで本心を語れる場が持てて感謝してます。
    今後もこのような誠実見のあるブログ作りにがんばってください。

  • fqfw より:

    車の運転でも普段は見せないような攻撃性を見せる人がいます。これはインターネットでの容易な誹謗中傷と関わりがあるように思えます。
    例えば、車を運転しているといきなり割り込んできた車に対して「なんだあの車」と、次に追い抜いて急ブレーキを踏むような人を見たり聞いたりしたことがあります。これは相手を車という物体とみなし、一人の尊い人間であるという感覚を失っているからではないでしょうか。ネットも同じです。相手は人間であるはずなのに、自分とは関係のないバーチャルな物体・対象として、普段面と向かってでは決して言えないような酷い書き込みが多いです。
    私達は冷静に、相手もまた大切な人を持つ一人の人であるという前提を持ち、問題に対峙せねばならないと思います。

  • くまっち より:

    読ませていただいたので コメントします。 私はネットで酷い中傷を受けたことがありました。だから今でも コメント欄や掲示板などを見るのが怖いです。なぜ こんなに誹謗中傷があるのだろうと不思議に思っていたところ、このサイトを見つけました。とても納得しました。
    ネットの世界は、対面で喋るのと明らかに違うと思います。過激になります。批判と中傷は違う。その通りだと思います。中傷は 間違ってる人の意見だけでなく、その人の人格まで否定するからです。私は その二つの意味を間違えないようにしたいです。

  • miku より:

    皆が酷い事を言えるのは、明らかに、この社会が原因だとこのアドレスのページのコメント欄のようなものを見ると感じます。

  • T/T より:

    子供がブログを作って書いたものと、芸人が書いたものを一緒くたにするのは完全な間違いですね。
    TVに出ている以上影響力や、周知力が高いのだからモラル・マナーを率先して守るべきだと思います。
    そして、少なくともそれを指摘し反省しないような人をTVに率先して出すのは、
    極力止めるようにTV局に抗議を入れるべきだとすら思います。

    ただ批判も様々な言い方や書き方があり、その一部に問題があることも事実ですね。
    罵詈雑言も酷い場合には、法で処罰される可能性のある犯罪です。
    個人的にも、匿名性を傘にして行き過ぎた言葉遣いをするのは間違いっていると思います。

    卓越された理論や意見は、誰から、どのグループから、発せられようと有意義なものだと思いますし、
    残念な理論や意見は、誰から、どのグループから、発せられようと殆ど意義のないものだと思います。
    そして、それらは主観にあるうちはどちらに該当するかわからないものが殆どであるため、
    自分の意見をしっかりと持っているこのブログ主さんのような意見をかける人は、
    活発な論議はより良い理論や発想の着手点に繋がることがあるため、
    その思想を活発に表現していく方が良いように思います。

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  • なぜ、ネットで人は攻撃的になるのだろうか

    人は自分が満たされるために誰かを攻撃する。

     ネットでエゴが膨らんだ人って凄く怖い。自分が誰かに認められているか、否定されているか。自分に対するその評価次第で、相手に…

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